こんにちは。ラクです。
以前はできていたのに、
40代以降になって、できなくなった…
…そう感じること、
増えていませんか。
頑張れない自分のことを、
甘えているんじゃないかと、
責めてしまう…

今回も、ラク・トクコ・バウの3人で
お話ししていきます!
バウただ気合いが足りねぇだけじゃねぇのか?



私もそう思っていた時期がありました。でも、少し違う理由があるかもしれないんです



うーん、せやね。気合いだけの問題じゃない気はするなぁ
「頑張れない」に変わる前は、こんな毎日でした


ある時期の私は、
朝早くから夜遅くまで、
働き続けていました。
未読メールは、
2,000件を超えていました。
毎日15時間勤務が、
当たり前のように
続いていました。
顧客からの問い合わせや、
クレームの対応をして。
その顧客の代理として、
社内の関係者に、
働きかけ続けて。
部下にも、
無理を言わなければ、
現場が回らない。
自分がいなければ、
物事が止まってしまう。
そういう環境に、
自分を置いていました。
誰も、
助けてはくれないと、
感じていました。



なんかもうそれ既に限界やん



そうですね…思えば、そこまでもう真剣に対応する必要も無かったのかなと。ただ、あの頃があって今があるという思いもあるので。複雑な気持ちですね
その頑張りは、「うぬぼれ」だったのか


自分がいないと回らない。
誰も助けてくれない。
そう思っていたことについて、
今振り返ると、
もしかしたら、
自分が自意識過剰で、
うぬぼれていただけで、
周りが見えていなかったんじゃないか、
と考えることもあります。
本当は、
もっと頼れる人が
いたのかもしれない。
自分が背負い込まなくても、
何とかなる部分も
あったのかもしれない。


でも、
それでも。
顧客対応も、
クレーム対応も、
社内への働きかけも、
部下への無理なお願いも。
すべて、
実際に自分がやっていたことです。
未読メールが2,000件を超えていたことも、
毎日15時間働いていたことも、
事実として、
そこにありました。



自意識過剰とかうぬぼれとか、そんな話じゃねぇだろ。ちょっと自分に厳しすぎねぇか。



そう言ってもらえると、少し救われますね。



頑張ってた自分のことまで疑ってしまうの、なんか切ないな



はい。だからこそ、今日は「頑張れなくなった今の自分」だけじゃなくて、「頑張っていた頃の自分」の話もしたかったんです。
頑張れないのは、「あの頃の自分」と比べているから


あれだけ働けていたのに、
40代になった今はもう、
あんなふうには
働けない…
そう感じるとき、
比較しているのは、
あの、30代以前の
15時間働き続けていた頃の
自分です。
でも、
あの頃の働き方は、
本来、
続けられるはずのないものでした。
未読メール2,000件を抱えながら、
誰にも頼れないと感じながら、
毎日15時間働く。
それは、
「頑張れていた」
のではなく、
限界に
気づかないまま、
走り続けていただけ
だったのかも
その状態を基準にして、
「今の自分は頑張れていない」
と比べてしまうのは、
少し、
酷なのかなとも思うんです。



たしかに…その頃と比べたら、そら誰でも「頑張れてない」ってなってまうよな💦
比較は、終わらないゲームだ


哲学者のルソーは、
人間の感情を
二つに分けて考えました。
一つは、自分を守ろうとする、
自己愛。
もう一つは、
他人と自分を比べて、
優位に立ちたいと願う、
利己愛です。
ルソーによれば、
利己愛は、
他者との関係の中でしか
生まれません。
そして、
この感情には、
終わりがないんです。


昔の自分と比べて、
今の自分が劣っていると感じる。
同僚と比べて、
自分は物足りないと感じる。
どれだけ頑張っても、
比較する対象は、
次々と現れます。
よく、
「他人と比べるな。
昨日の自分と比べろ」
と言われます。
一見、
優しいアドバイスに見えます。
でも、
これもまた、
一つの罠になりえます。
「昨日の自分」
「あの頃の自分」
という、
新しい比較対象が
生まれるだけだから
そして、
その比較にすら勝てないとき、
人はさらに
自分を責めてしまいます。



つまり、比べる相手を変えたところで、比べること自体はやめられねぇってことか。



そういうことなんです。しかも、比べている相手が「本来、続けられるはずのなかった自分」だったりするんですよね
「何もしない」ことに、罪悪感を持たなくていい


今、多くの人が、
何かを「している」自分でいることを、
無意識のうちに
求められています。
休んでいるだけでは、
不十分だと感じてしまう。
何もしない時間を過ごすと、
罪悪感が湧いてくる。
これは、
あなたの心が弱いから
起きることではありません。
常に何かを生み出し、
常に前に進み続けることを
求める空気が、
社会全体を
覆っているからです。
頑張れなくなったのは、
あなたの意志が
弱くなったからではなく。
もしかしたら、
本来続けられるはずのなかった頑張りを、
一度、
使い果たしたから
なのかもしれません。
頑張れない自分に、少しだけ優しくするために


はっきりとした解決策は、
正直、僕にも
提示できません。
ただ、
一つだけ言えるのは、
完璧に充実している必要は
ないということです。
未読メール2,000件、
毎日15時間勤務。
40代になった今、
あの状態を
基準にしなくていい。
退屈と気晴らしが
入り混じったような、
そこそこの状態でも、
十分に
生きているということ。
頑張れない自分を、
これ以上、
あの頃の自分と
比べなくても
いいと思います。



今日はこのあたりで。少しでも、肩の力が抜けていたら嬉しいです



もし良かったら、下の方にあるフォームから意見とか聞かせてな



…まぁ、あの頃のペースを基準にすんのは、そもそも無理があるってことだな
内部リンク
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