こんにちは!ラクです。
今回は、前回の続きです!
もちろんこのまま
読み進めていただいても、
きっとお分かりいただけます。
でも、より深く知りたい場合、
ぜひ以下から前回のブログを
ご覧になってくださいね
「自分の人生、
このままでいいのかな。
いや、
全然良いとは
思えない。
毎日毎日働いて…
その先に、
終わりが
あるわけでもなく。
でも…
どうしたら
いいんだろう…」
トクコ前回の続きやね…



そうですね。ちょっとディープな話になっているので、分かりづらいところがあれば、ぜひご連絡ください
📚今回も、
以下の名著を基にしています!
▶暇と退屈の倫理学 (新潮文庫) 文庫 – 2021/12/23 國分 功一郎 (著)


今回も、いつも通り
ラク・トクコ・バウの3人も
一緒にお話ししていきます!
▶3人の紹介はこちら
「あなたの代わりはいる」について


まず、
あなたに問いたいことがあります…
「あなたの代わりは、
いくらでもいる」
この言葉を聞いて、
どう感じますか?
そう思われることを
恐れていますか?
それとも、
あなた自身が、他人に対して、
そのように思う立場でしょうか?
あるいは、
その両方でしょうか?
この言葉は結局のところ、
「この状況をどうしたいかは、
あなたの努力と能力次第」
そんな風に、
言われているのかなと
思うことがあります。
つまり、
「自己責任」です。
この「自己責任」について
ちょっと思うことはあります。
私も自分の部下に対し…
今の仕事は、
今の職場は、
あなたが自分で
選んだ場所。
嫌ならやめていい。
あなたの代わりは
いくらでもいる。
…そんな認識でした。
私自身の経験
私も実は、
自分の部下に対して、
同じ様な考え方を
していた時期があります。
仕事なんだから、
やって当たり前だよね。
出来て当たり前だよね。
やらないんだったら、
出来ないんだったら、
辞めればいいんじゃないの?


そんな風に思っていました。
そもそも、
今の職場に「ついてこれない」なら、
「辞めてもらった方が、
当人にも会社にも、
お互いにとっていい」
そう思ってもいました。
ただ…
あまりに
会社の変化が激しく、
これまで培ってきた
経験や知識も一瞬でムダになり
全く別領域の能力で
秀でている人たちが
自分たちの上に立つ
そんな状況に対して、
「なんとか対処する」のを
「自己責任」として、
一言で括ってしまい、
しかも、
「もし会社に
ついてこれないなら、
あなたの努力が足りない
情熱が足りない
才能がない
…
すべてはあなたの問題だ」


そんな風に会社が
一方的に捉えるのは、
果たしてどうなのかと…
特に40代に入って、
少し思うようになってきました。
「自己責任」が隠しているもの
この場合の「自己責任」とは、
労働条件の劣悪化を
正当化している
だけでは?
…そんな風にも思えます。
つまり、
「会社や社会のスピードに
ついてこれないというのは、
あなたの自己責任でしょ?」
…と。
しかし、
社会構造の問題に関して、
個人の「努力不足」と言って
切り捨てる…
それは本当に、個人の
努力不足だけなのでしょうか?



それを「努力不足」「自己責任」で収めてしまうのは、かなり強引な気もしています



なぜだ?実際、「努力不足」なんじゃねぇの?



うーーん、でも、「ずっと変化に追いつくよう、努力し続けてね。ついてこれないなら、辞めてね」て言われるのって、何だかなぁって気もする💦



…程度の問題もあるかもな…
自己責任を押し付けた結果
2025年後半になって、
特に「黒字リストラ」という
言葉を耳にするようになりました。
それも結局のところ、
「会社に付いてこれない、
あるいは付いてきたくない人は、
自己責任で生きてください」
そういうメッセージのように、
聞こえてしまう感じも。
まぁ、そういうことが続くと、
以下のように思う人が増えるのも、
不思議じゃないですよね。
だったらもう
いっそのこと、
会社に縛られず
生きたい…
お金は必要だけど、
働き過ぎたくはない。
そのように考えたうえで、
「自己責任での生き方」を
選ぶ…
今の世の中で、
そう選択した人たちは
どのように生きるのか。
例を交えて、
考えていきたいと思います。
4つの働き方が持つ「共通の構造」
ここからは、
「自己責任で生きる」と
選択した人たちが選ぶ
4つの働き方について見ていきます。
一見バラバラに見える
これらの働き方ですが…
実はすべて同じ
構造の罠にはまっていることが
分かります。
例①ギグエコノミーの利用


まず、今の世の中には、
「ギグエコノミー」があります。
企業に雇用されるのではなく、個人が単発の仕事(ギグ)をインターネット上のプラットフォームを通じて請け負う経済形態のこと。Uber・Upwork・ランサーズ・ココナラなど、労働者が自分の労働力を「サービス」として短期的に提供する。
終わりなく働くのが
辛い…
だったら
「好きなときに働く」じゃ
ダメなのか?
この働き方は、
「労働者」ではありません。
「個人事業主」です。
企業は「雇用契約」を結ばず、
「独立した事業者」として、
プラットフォームを通じて仕事を受注します。
たとえば、以下のような
メリットがありそうですね。
- 好きな時に好きなだけ働ける
- 自分のペースで仕事ができる
- 上司がいない
- 人間関係の確執も生じにくい
- 通勤時間がない
- 出勤を強制されない



なんかいいことばっかじゃねぇか?



そうだと良いのですが、そうでもないですよ
でも、
この「裏側」には、
何があるのか?
雇用の安定性は皆無
たとえば自分がUberの配達員をしている場合、明日もしかしたら別の人(配達員など)を優先するかもしれない。他にも、来月アルゴリズムが変更されて、仕事が激減するかもしれない。さらに、病気になっても、怪我をしても、何の保障もない。
労働時間の境界が消失
「いつでも働ける」ということは、いつでも働かなければならないということでもある。いつでも仕事の依頼の通知が来る。そして断れば評価が下がる。評価が下がれば、次の仕事が来なくなる。だから、断れない。深夜でも、早朝でも、休日でも、通知に応答しなければならない…
すべてが自己責任
「個人事業主」であるため、労働時間の規制もない。社会保険もない。すべてが「自己責任」。
前回のブログでお話しした
「フォーディズム」では、
余暇が労働の準備期間として
資本に組み込まれていました。
「休みのも、仕事のうち」
でしたね。
しかしギグエコノミーでは、
余暇と労働の区別すら存在しません。
24時間が、
潜在的な労働時間に
企業側にとっては、
これは非常に「柔軟」です。
もちろん、スキルや経験などを
どこまで信頼できるかは謎です。
それでも、必要なだけ、
労働力を調達できて、
雇用責任を負わずにできるのは、
使用する会社側にしてみたら、
かなり利便性が高いでしょう。
例②「好き」を仕事にする


「好きな時に仕事をする」
それも方法のひとつです。
しかし、世の中には、
こんな動きもあります。
「好き」を仕事に
…そんな、
イデオロギーの蔓延
たとえば…
「この情熱を仕事に!」
「やりたいことをやる!」
「好きなことなら苦じゃない!」
こうした言葉が、
至る所で語られています。
でも、
ここでいう「好き」とは、
別に自分の趣味を仕事に
しているケースだけじゃ無く、
「今の仕事って、
あなたが選んだんだよね?」と
いったような、
そんな「強迫観念に似た」
押しつけがましい観念も
入ってくると思っています。
自己啓発書、
起業セミナー、
キャリアカウンセリング…
そして、
SNS上の
「成功者」たちの投稿。
「好きを仕事に」という
スローガンは、
一見すると
素晴らしいように聞こえる。
嫌な仕事を
我慢してやるのではなく、
好きなことをやって
生きていく—
理想的ですよね。
でも、
この「イデオロギー」が
何をもたらしているか…
政治や社会に対する基本的な考え方や思想体系のこと。 特定の価値観や理念に基づいて、人々の行動や社会制度を方向づける枠組みを指す。
労働と余暇の「境界」の消失
好きなことを仕事にしているのだから、それは「労働」ではない。労働であっても、それは「苦痛」ではない。ならば、長時間働いても問題ない。休日がなくても構わない。なぜなら、それは「好きなこと」だから…(?)
労働条件の劣悪化の正当化
好きなことをやっているのだから、低賃金でも我慢すべきだ。休みがなくても仕方ない。むしろ、それを「情熱」や「やりがい」として受け入れるべきだという論理が生まれる。これを「やりがい搾取」と呼ぶ。アニメーターの低賃金、ゲーム業界の長時間労働、出版業界の薄給。これらの業界では、「好きでやっているのだから」という論理が、劣悪な労働条件を正当化する。
すべてが自己責任
「個人事業主」であるため、労働時間の規制もない。社会保険もない。すべてが「自己責任」。
例③副業する


会社に頼らずに
自分で
生きていけるように
そう考えたとき、
当然「副業」も選択肢として
考えられます。
この近年の「副業ブーム」も、
同じ構造の中で
理解しなければならなさそうです。
政府も「働き方改革」の一環として、
副業・兼業を推進しています。
企業も、副業を
解禁する動きが広がっています。
そして、メディアは
「副業で収入アップ」
「スキルアップのために副業を
といった記事を量産しています。
一見すると、
これは労働者にとって
良いことのようにも見えます。
収入源が増える。
スキルが身につく。
自分の可能性が広がる…
そんな風に思えるので。
でも…
本業やって、
副業やって…
それ、
多くの人にとってみたら、
ただ働いている時間を
延長しているだけ💦
結局、
「不安定な本業」が
増えているという事実を
なんか忘れてしまって
いるような気もする。
副業は結局、
最低でも平日8時間働いた後、
さらに数時間、働くことに。
休日も副業をする。
働いている時間が、
どんどん
長くなっていく💦
そして、
副業ブームもまた、
「好きを仕事に」というイデオロギーと
結びついているような気もします。
副業は「自己実現」の手段として
語られることも多いです。
本業では得られない
「やりがい」を、
副業で見つけよう!
そんな風に言われることも
多いのでは無いでしょうか?
しかしこれは、
「自己責任」「自己実現」を
正当化してしまっているようにも
聞こえます。
④リモートワークをする


2020年のパンデミックは、
労働環境に大きな変化を
もたらしました。
その一つが、
リモートワークの普及ですよね。
多くの人が、
リモートワークを歓迎しました。
- 満員電車に乗らなくていい
- 自宅で働ける
- 時間を自由に使える
- 家事・育児・介護ができる
確かに、
そんなメリットがあります。
しかし、
結局これも、
24時間が、
潜在的な労働時間に
…ということになります。
自宅が職場になり、
ダイニングテーブルがデスクに、
寝室がオンライン会議に。
さらにスマホは、
四六時中「見れて」しまう。
夕食後にメールをチェック。
深夜にTeamsメッセージに返信。
休日にZoom会議に参加…
「働くこと」と、
「自分の生活」の境界が、
見えなくなってしまう
リモートワークは、
労働時間の柔軟性をもたらす一方、
いつでも労働可能である…
そんな風に
捉えられてしまっていませんか?
いわゆる「しごデキ」な人ほど、
「自主的に」働くから、
自分で時間を調整します。
今では珍しくもなくなった
リモートワークですが…
ここでも「自己責任」が出てきます。
結局、家で、
夜遅くまで働いてしまうんですよね。



いつでもどこでも働けるっていうのは、聞こえはいいけど…



「いつでもどこでも働けるよね」という暗示的プレッシャーはありますよね
中間管理職の疲弊と苦しみ


いったん、
ここまでの話をまとめます。
会社に縛られず
生きたい…
お金は必要だけど、
働き過ぎたくはない。
そのように考えたうえで、
「自己責任での生き方」を
選ぶ方法として、
以下の例を
取り上げてきました。
- ギグエコノミー
- 好きを仕事に
- 副業
- リモートワーク
しかし、皮肉なことに…
こういった選択肢や、
昨今の「多種多様な生き方」は、
「会社勤め」を選択している、
中間管理職にも、
思わぬ形で影響してきます。
フォーディズムとポスト・フォーディズム
前回のブログで、
「フォーディズム」と、
「ポスト・フォーディズム」について
お話をしました。
過去の「フォーディズム」では、
管理者と労働者の役割は明確でした。
管理者は、労働者を管理し、
効率的に働かせる。
…そして、
労働者は、管理される。
そういった構造です。
しかし、
「現在の」
ポスト・フォーディズムでは、
この構造が変化しています。
非正規雇用やギグエコノミーの
拡大によって、
労働者の管理は複雑化しています。
正社員、
契約社員、
派遣社員、
業務委託…
様々な雇用形態の労働者を、
一つのチームとして動かさなければならない。
しかも、
「好きを仕事に」
「自己実現」
「やりがい」
そんなイデオロギーを
内面化させなければなりません。
中間管理職に課された不可能な任務
つまり…
現代の
中間管理職は
労働者が
「自主的に」働くよう、
動機づけなければ
ならない
これは、フォーディズムの
「直接的な管理」よりも、
はるかに困難です。
さらに、
中間管理職自身も、
上からのプレッシャーを受けています。
成果を出せ
コストを削減しろ
でも人は増やせない
労働時間も削減しろ


そんな矛盾した要求の中で、
中間管理職は疲弊しています。
私自身の「管理職経験」


私もまさに、
同じ様な状況でした。
私も20代から10年近く
管理職に就いて…
部下に「やりがい」を語りながら、
自分自身は疲弊していきました。
「働き過ぎないようにね」と
声をかけながら、
自分自身は朝6時半から
夜の1時近くまで。


あるいは、
周囲には労働時間の
削減を命じられながら、
自分自身は長時間働いていたり…
私自身、
気づいたことがあります。
それは…
中間管理職は、
仕事に生きがいを
見出すことを
強制されている
しかし、
その仕事は、
他者に「強制を課す」こと
しかも
その「他者」は今や、
多様な価値観を持つ
人間たち
それが「管理職」の仕事と
思われているので、
仕方のないことなのですが…
でも、
「多様な価値観を持つ他者」に対し、
「一元化された強制を課す」こと…
無理ゲー過ぎ…





管理職としても、「色んなヤツが今はいるけど、まとめてお前が何とかしろ」って会社から言われてるってことか



平たく言うと、そうでしょう。しかし、「価値観の多様化」が進むと、それは非常に難しくなります



結局、その管理職の人が、ぜんぶ自分でやっちゃわないといけなくなるとか…そういうことが起きやすくなってたりするんかなぁ…
このように、
中間管理職には
深い矛盾があります。
そして、この矛盾は、
個人の力では解決できません。
なぜなら、これは、
構造的な問題だからです。
今回のまとめ


ここまで見てきたように、
ポスト・フォーディズムは、
様々な現象の背後にある、
一つの構造であると思われます。
- ギグエコノミーの台頭
- 「好きを仕事に」
- 副業ブーム
- リモートワーク
- 中間管理職の疲弊
これらは、すべて、
無関係な現象では無く…
これらは、
ポスト・フォーディズムという
一つの構造のもとに、
生まれています。
つまり、前回のブログで
お話ししたように
私たちは消費者として、
モデルチェンジを求めます。
「新しさ」を消費します。
そして、
その結果として
生まれる生産体制が、
私たち自身を苦しめています。
「好きを仕事に」という
イデオロギーを内面化し、
労働条件の劣悪化を
自分たちで正当化し、
リモートワークで
「自由」を手に入れ、
それが24時間労働可能な
状態を作り出しています…
その構造を知らないまま。


でも、
ここで重要なのは…
これらが
個人の選択の問題ではないと
いうことです。
「今の仕事は、
今の職場は、
あなたが自分で
選んだ場所。」
「嫌ならやめていい。
あなたの代わりは
いくらでもいる。」
このように言われると、
「あなたが働き過ぎなのは、
あなたの選択だ」
そんな風にも聞こえるのですが…
これは、少なくとも、
間違っているということです。
なぜなら、前回のブログから
お話ししている内容も併せ、
現代のこの状況は、
やはり「構造である」ことも
無視できない要素なので。
「弱者の論理」に
聞こえるかもしれませんが、
そう思ううちは、
まだ「構造の問題」に
囚われたことがないだけかも(?)



また長くなってきてしまったので、今回もここで終わりますが…また続きを書きたいと思います



…確かに長いな…
職場のトラブルランキング






