こんにちは!ラクです。
「自分の人生、
このままでいいのかな。
いや、
全然良いとは
思えない。
毎日毎日働いて…
その先に、
終わりがある
わけでもなく。
でも…
どうしたら
いいんだろう…」
そんな風に思い悩むこと、ありませんか?
ラクなんとなく、グルグル同じとこ回っているような、そんな気になるんですよね…



へ、へぇ…そうなんや…



人生、迷子だな(笑)
今回は、以下の名著を基にお話ししていきます!
▶暇と退屈の倫理学 (新潮文庫) 文庫 – 2021/12/23 國分 功一郎 (著)


今回も、いつも通り
ラク・トクコ・バウの3人も
一緒にお話ししていきます!
私自身の経験


私自身は海運やロジスティクス、
サプライチェーンの仕事を
この20年くらいやってきました…
もちろん若い頃は
特に何も疑うことも無く、
ひたすら仕事に
没頭してきた気がします。
しかし、年齢を重ね、
責任も重くなっていくにつれ、
だんだん時間も余裕も
無くなっていきました。
気が付けば、
朝6時半から、夜12時半まで
働く日もあったり。
特に、時間の長さよりも、
こんな風に思うことが
多くなってきました。
「別にこれやったって、
大して変わらないんじゃ」
そんな風に思えてしまうような
自社の展開するサービス、
あるいは内部の取り組みや、
上層部への働きかけ…
パフォーマンスだけのために
行っているような仕事に
違和感を感じてきました。
「これは無理だろ」とか、
「何の意味があるの?」とか


すごく不毛だなぁ…と
思いつつも、
それを一生懸命やらないと
ダメな雰囲気があったり、
あるいは、
会社から認めてもらえないような…
会社にとっても
何が正しいか
分からない状況なので、
逆に
「何かしないといけない」
そんな空気が生まれるんですよね。
でも、
ホントはきっと逆で、
何もしなくていいのなら、
何かをしないといけない時まで、
待ってたっていいはずなんです。



「暇だなー退屈だなー」って会社で言ってたら、「じゃあ仕事しろよ」って言われそうやしなぁ



「忙しさが美徳」とされたり、「忙しいことに価値がある」という風潮がありますからね



それもよくよく考えると、不思議だな
20世紀の高度経済成長


そもそもの話…
なんでこんなに
働かないと
いけないんだろう
そんな風に思いませんか?
そう思って、色んな本を読みましたが、
特に感銘を受けたのが、
この「暇と退屈の倫理学」です。
同著ではまず、
「フォーディズム」という
生産体制についての考察があります。
かの有名な、
ヘンリー・フォードが
発明したシステム。
要は、高賃金と
余暇の承認によって、
労働者を効率的に働かせる
仕組みでした。



あん?どういうことだ?



たくさんお給料出して、休みもちゃんとあげるってことですね。意外とそれが当時は「当たり前」ではなかったそうです
労働者は工場で働き…
そしてさらに、
稼いだお金で、
フォードの自動車を買い、
余暇を楽しむ…
このサイクルが、20世紀の
高度経済成長を支えていました。
でも、
「フォーディズムの余暇」…
これは「休み」ではあって、
休みでは無かったんです。
余暇は
「労働のための準備期間」。
労働者の心身を
万全にするための時間でした。
実際、フォードは探偵を雇って、
労働者が休暇中に何をしているかを
監視していたそうです。
つまり、
休むことも、
実は仕事のうち
そんな風に「資本」の中に、
余暇ががっちりと
組み込まれていたんですね。
フォーディズムが約束していたもの


それでも、フォーディズムには
一つの「約束」がありました。
それは、安定した雇用と、
予測可能な未来です。
フォードの車は、
同じ製品を
15年以上作り続けることが
できました。
そういう時代だったんですね。
労働者は、
明日も明後日も、
この工場で働き続けるだろうと
予想することができました。
そして、
たとえ「資本」に管理された
ものであっても
余暇があったんですね。
でも、
フォードのやり方…
…「フォーディズム」は
既に終わっています。
今、私たちが生きているのは
ポスト・フォーディズムと
呼ばれる時代なのだそうです。



ポスト・フォーディズム?



カンタンに言えば、「常に新しいものを作らないと消費が成立しない社会」ですね
予測不可能性の常態化


ポスト・フォーディズムを
特徴づけるのは、
「激しいモデルチェンジ」
…だそうです。
これは納得ですね…
今の時代、フォードのときのように、
15年間、ずーっと同じ自動車を
作り続けることなど、
もはや考えられない…
家電は半年ごとに
新製品が出ています。
携帯電話は、
もっと早いスピードで、
モデルチェンジを繰り返したり
なぜこうなったのか。
なぜそんなに、高スピードの
モデルチェンジを
行わざるを得なくなったのか。
本著では、
以下のように説明しています。
消費者が変わったから
1980年代以降、
広告・テレビ・雑誌が普及し、
人々は「製品そのもの」ではなく、
そんな記号的価値を買うように。
(モノそのものを、我々は
見なくなったということですね)





うーん?ちょっと待って。どういうこと?



たとえば、有名なラーメン店に行って、「ラーメンが美味しい」ということをちゃんと楽しむよりも、「あの有名なラーメン店に行ってきた」という観念を消費しているということですね。もっと言えば、それを他人に言うということを目的にしているところすらあります



つまり、「ホントはラーメンを楽しみに行ってない」ってことか。…でもそれ、何か問題なのか?



また別の有名店が出てくれば、またそこに行く…その繰り返しになってしまうんですよね商品やサービスを提供している側に、「次はこれが欲しいでしょ?」と、常に踊らされている状況が続くことになります



うーーーーん…分かるような、分からんような…
「売れる」ために…
ただ、
消費者が変わったというより、
1970年代のオイルショックや、
先進国市場の飽和、
グローバル競争の激化など、
複合的な要因により、
以下のことが起きたそうです。
同じものを作り続けても、
人々が買わなくなった
よって、
商品やサービスを提供する
企業側(供給側)は、
モデルチェンジを繰り返すことを
余儀なくされました。
そうしないと売れないから。
しかし、
その「チェンジ」とは、
「変化しているという演出」でした。





演出…?



たとえば家電だと、掃除機は吸えればいいし、冷蔵庫は冷やせればいいし、レンジは温められればいいですよね。



うん、まぁ、そやね



それにも関わらず、毎年のように新しい商品が出続けています



あぁ…そうか。吸引力がすごかったり、勝手に氷作ってくれたり、オーブン機能があるレンジとかな…



そうですね。そういったものを、ひたすら考え続け、モデルチェンジを繰り返す必要が出てきたんですよね



フォードの車のときのように、「同じ車だけを、ずーっと作り続ける」というだけだと、消費者は買わなくなったってことね
そういった「演出」を、
売ることで、
利益を得る構造が
出来上がってきました。
よって、
「観念」を
付加価値としてつけ、
売り続けるということが
「常態化」したんでしょうね。
この消費スタイルの変化は、
生産体制を根底から変えました。


ポスト・フォーディズム


フォーディズムでは、
巨大な設備投資を行い、
機械化された生産ラインで
大量生産を行うことができました。
しかし、モデルチェンジが激しい現在、
そのような投資は不可能です。
半年後には不要になる設備に、
巨額の投資なんて、誰もしませんよね。
…あるいは、
「生産のための機械」を
いちいち作っていると、
とても間に合わないんでしょうね。
だから、
人間にやらせるんです。
機械ができるかもしれない作業を、
人間が行う。
これがポスト・フォーディズムの
第一の特徴です。
人間は機械より柔軟で、
モデルチェンジに対応できて、
訓練すれば、新しい製品の
組み立てもできます。


そして何より、
今の商品が売れなくなったり、
更なるモデルチェンジが
起こったりすれば、
今使っている人間は、
使い捨てにできる。
フォーディズムでは、
労働者を一定数確保し、
彼らを徹底的に管理して、
優れた工員へと磨き上げました。
生産の安定性が
それを可能にしていました。
しかし今…
生産の安定性は失われています。
どのモデルがどれだけ売れるかは、
全く不透明です。



やっぱりこう聞くと、なんか怖いなぁ



ギャンブルにすら思えるな
モデルチェンジがもたらしたもの


よって…
モデルチェンジしないと売れない
👇
企業も従業員も、フレキシブルに対応しなければならない
👇
過酷な労働環境を生み出す
👇
それでも売れなければ労働者はいらない
👇
いらないときには労働者を放り出す必要がある
…ということが言えそうです。



しかしまぁ、やっぱりこれだけ見ると、すげぇ理不尽に見えるな



設備ではなく人間がやるほうが、すぐ切れるし調整もきく…使い捨てが前提になりかねないですね。



まあ日本の場合、そうそうカンタンに人を切れるわけじゃないだろうけど…



そうだな。ただ、「人間に柔軟な対応」を常に求められるのは、やはりやらされる側はストレスだな



働く人が疲れて、やる意味を感じられなくなるのも、分かるなぁ…



そうですね…でも皮肉なことですが、同時に以下も言えます。
モデルチェンジを
繰り返すことが、
経済を安定させてきた
消費者が買うように、
モデルチェンジをすることで、
経済が回ってきた…
実際に、消費者は
そうやって売られていた
「観念」や「記号」を
購入し続けていた…
お金が回るのは、
このビジネスモデルのおかげですね。
人生「再考」のときに考えたいこと


消費者が買うように、
モデルチェンジをすることで、
経済が回ってきた…
しかし…
その代償は
何だったのでしょうか?
不安定な雇用、
終わりのない変化、
余暇の無い人生、
積み重なる心の負荷、
先ほど挙げた、
私自身の経験も同じです。
なんとなく「新しい」っぽいことを
顧客や上司にアピールして、
価値を創出しているように見せる…
でもそれは、
自分たちが作っている
「消費のサイクル」で、
自分たちが、
自分たちを追い詰めている
ただ、
不毛だなぁと思うものの、
これは構造の問題なので、
私たちの努力不足とか、
能力不足とか、
そういうことじゃないんですよね…
ちょっと長くなってきたので、
次回以降のブログで書ければと思いますが、
「人生やり直したい」と思う人は、
きっと以下を考えることが、
何かのきっかけになると思っています。


この辺りも、次回以降のブログで、
もっとお話しできたらなぁと思います。
おそらく、テーマとしては…
この構造を理解した上で、
私たちに何ができるのか?



うーーーーん…構造か



何が出来るのかって言われても、パッと思い浮かばんな



引き続き、以下の著書をベースにしつつ、その他の視点や自分の経験も踏まえて、お話ししていきますね
▶暇と退屈の倫理学 (新潮文庫) 文庫 – 2021/12/23 國分 功一郎 (著)


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