こんにちは!ラクです。
日本人の会議って、なんでみんな話さないの?あれが普通!?
そんな風に外国人の同僚から聞かれること、ありませんか?
うーーーん、せやな、言われてみれば…
特に西洋諸国から来た外国人は、特にそう感じる傾向がある気がします
今回は、その質問にどのように答えればいいのか…
日本人の文化という観点からも考察していきたいと思います。
私が体験したケース
先日、外国人の同僚が日本を訪れました。
日本のビジネスについて学び、日本の顧客を知るためです。
そこで、顧客先のある日本の会社に連れていきました。
それが彼の「初めての日本人の会社訪問」でした。
会議自体は和やかな雰囲気で行われ、帰路の途中で以下のような会話をしました。
なんでみんな、会議で全然話さないの?
単純に「英語が出来ないから」という理由もきっとありますよね。
でも今回は…もう少し踏み込んで考えてみたいと思います!
会議の場で話すことの「慣れ」
比較の話になりますが、ある国では人口が多すぎるため、「他人との差別化」を図ることが自分の生存に関わってきます。
つまり、他人と同じように生きているだけでは、なかなか学歴も得られず、仕事にもありつけない…
自分が!
いやいや、私こそが!
そんな風に、自己主張を続けないと、経済面で苦しくなったり不利になったりということもあります。
一方、日本ではあまりそういうことはありません。
たとえば学校での試験や、受験!
今、社会人になっている20代後半以上の大人たち(?)は、きっとほとんどがいわゆるペーパーテストだったはずです。
ペーパーテストが「悪い」と言っているわけではありません。
しかし、大人になるまでの「競争」は、黙々と回答用紙に答えを書き込むものだったわけです。
これに対して、「発言することが求められる」社会では、教育の段階から違います。
グループディスカッション、プレゼン、ディベート…色々あるな
そういうことに慣れているからこそ、発言が苦ではないのかも知れませんね
歴史的背景のちがい
欧米と日本の教育における歴史的背景の違いも大きいですね。
それぞれの文化や思想、社会的価値観が教育制度に与えた影響に基づいています。
欧米の歴史的背景
- 古代ギリシャ・ローマの影響
- ソクラテス式対話やアリストテレスの論理学を基盤に、議論や対話を通じた学びが重視されました。
- ローマでは、修辞学(レトリック)が市民の必須スキルとされ、公的な発言能力が求められました。
- 中世からルネサンス
- 教会教育では、議論を通じて神学や哲学を探求するスコラ哲学が発展。
- ルネサンス期には、人文主義に基づき、個人の表現や議論が教育の中心となりました。
- 啓蒙時代と民主主義の確立
- 18世紀の啓蒙思想は、自由や理性を尊重し、議論を通じた市民教育を促進。
- 民主主義社会では、合意形成のスキルとして意見交換が不可欠とされました。
- 近代教育と産業革命
- 創造性や革新を重視し、プレゼンやディスカッションが一般化。これが現代教育の基盤になっています。
なるほど。合意形成の「スキル」か…
そもそも文化的背景や価値観が異なる人が交わることも、日本と比べて多かったはずです。
そうすると、「きちんと話して、納得してもらう…あるいは説得させる」というスキルは、なおさら大切だったのでしょうね
逆に言えば、日本の場合は「話さなくても分かるでしょ?」的な考え方もあるしな
いわゆる「忖度」ってやつかな
ちなみに「忖度」を英語でなんて言うか…ですが、調べてみたところ以下のような言葉が見つかりました
- Read between the lines
- Read his mind
- Speculate
- Surmise
よく分かんねぇなw
そもそも「忖度」の意味合いとして、「相手の気持ちを推し量り、配慮する」という、「静と動」の両方が込められている気もします
そう考えると、どの表現もピンと来ない気もするなぁ
日本の歴史的背景
戦後、民主主義教育が導入されたが、集団調和の文化が依然として優先されました。
1.江戸時代以前の教育
儒教思想に基づき、礼節や調和が重視され、議論よりも規律と従順が教育の中心でした。
2.寺子屋と藩校
庶民は読み書きそろばんを学び、武士は道徳教育を重視。個人の意見発信は育成されませんでした。
3.明治維新以降
欧米型の教育制度を取り入れたものの、国家への貢献を目的とした集団主義的教育が中心でした。
まぁ同じような文化的背景や価値観を持つ「日本人」なら、そういった教育が「可能」だっただろうな
同じことを欧米でやろうとしても、難しかったかもしれませんね
「他人と違う」は、どういうことか?
名著「暇と退屈の倫理学」(著:國分功一郎 – 新潮文庫)p78には、以下のようにあります。
ロマン主義は、普遍性よりも個性、均一性よりも異質性を重んじる。他人と違っていること。他人と同じでないこと。ロマン主義的人間はそれを求める。
この話は、同著のp76から語られている哲学者「スヴェンセン」による退屈論に関する話です。
スヴェンセンは、以下のように述べているようです。
とても興味深いですね。
これさ、なんか不思議やんね
何が?
他人と違っているっていうのは、要は他人と比較してるってことよね?
そうなりますね
他人と違っていることを認めてくれるのも、他人やんね?
おぉ?うーーーん……
哲学的ですね(笑)どうでしょう。そこももしかしたら自己満足な気もしますが…
そうか… 分かりやすいところで言うと、学歴、所属、資格、会社、役職…?
それは同著によれば、「ロマン主義の前」の価値形態のようですね
ロマン主義の前は、「みんなが認めたもの」を手に入れることが「人生の意味」だったわけか
そうなのでしょうね
ちょっとそこが日本っぽいかなぁ
「礼節や調和が重視され、議論よりも規律と従順が教育の中心だった」と考えると、「こうあるべきですよ」と、人生の意味を与えられている感じがしますしね。
意見の対立を避けてきたのか。欧米とは違うな。
コンフリクトマネジメントの観点から
名著「人と組織を強くする交渉力」(著:鈴木有香、出版:自由国民社)では、冒頭の「はじめに」で、以下のように書かれています。
異なる人々、異なる意見に対処する際に必要となってくるのが「コンフリクト・マネジメント」(意見対立の管理)の手法です。既に多様性が前提となっている欧米の多国籍企業では、管理職のマネジメント・スキルとして必須のものとなっています。
コンフリクト・マネジメントの理論と実践の多くは、多文化、多民族国家の米国で開発されたものです。
また、p16には「日本におけるこれまでのコンフリクト・マネジメント」は、以下のような特徴があったとも書かれています。
- 多数派が少数派を排除する方向で行われ
- 前例を重視した対症療法であり、
- 日本国内でしか通用しないもの
これは日本における職場が同質性の高い職場であり、同質性を前提としたコンフリクト・マネジメントであったから…と、著書では書いてあります。
「会議で日本人が静か」なのは、きっとそういう背景もあるんやねぇ…
英語が不得意だからっていう理由だけじゃねぇな
そうですね。良いか悪いかの話ではなく、あくまでこれは文化的な背景が異なるものに由来するもの…と捉えるのが、的確なのかもしれませんね
まとめ
文化的背景の影響
- 日本では「忖度」や「相手の気持ちを察する」文化が根付いているため、明確な発言よりも沈黙が重要視される場面が多い。
教育の違い
- 欧米ではディスカッションやプレゼンなど「意見を表現する」教育が一般的。一方、日本はペーパーテスト中心の教育で「発言」に慣れていない。
歴史的背景
- 江戸時代や明治維新期の教育は、規律や調和を重視。個人の主張よりも、集団での調和が優先される社会が形成された。
職場での同質性
- 日本の職場は同質性が高く、コンフリクトを避ける風潮があるため、意見を対立させることを避けがち。
言語の壁
- 英語の不得意さも一因。外国人参加者がいる場合、発言を躊躇するケースが多い。
「話さなくても分かる」文化
- 日本では、「空気を読む」ことが重要とされ、言葉にしなくても意思が伝わると考えられる場面が多い。
欧米との違い
- 欧米では、多様性を前提とした議論や合意形成が一般的。それに対して日本は、静かな会議でも効率的に進む文化がある。
まだまだ奥が深そうだな
私もこれからは日本人女性らしく、会議で大人しくしとこかな…
無理だろ💦
無理でしょ💦
…………無理ね
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