こんにちは!ラクです。
「40代で転職なんて、もう地獄だ…」
そう思ったこと、ありませんか?
若い頃に信じてきた「安定した会社」「将来性のある業界」「ネームバリューのある企業」──
それらを手放すことは、自分の人生そのものを否定するような気がしてしまう…
でも、心のどこかで気づいていませんか?
本当に苦しいのは、その“信じてきたもの”に、「しがみついていること」なのではないか

まぁ…実際、家庭がある人も多い世代だしな



そうやね。しがみつかないといけない…みたいな…



そうですね。その辺りのバランスも考えつつ、今回お話ししていきたいと思います
このブログは、かつて「やらされるバスケ」に苦しみ、そして今「遊ぶように働きたい」と願う私が見つけた、小さな気づきの記録です。
転職を「地獄」ではなく、「次のステージ」へと変えるヒントになれば幸いです!
今回も、ちょっとエッセイ風にしてお伝えしていきます!
でも、いつも通りラク・トクコ・バウの3人も一緒にお話ししていきます!
「やらされていた」時代


間もなく44歳になる。
そんな自分が、最近またバスケットボールに夢中になっている。
驚くべきことに、あれほど苦い思い出の詰まったバスケに、だ。
―――
高校時代、私は部活動でバスケットボール部に所属していた。
数年続けたが、決して「楽しい」とは感じていなかった。
いや、むしろ辛かった。


辛さの原因は、練習の厳しさだけではない。
人間関係も辛かった。
理不尽な先輩、責める同級生、見下す後輩…
そんな空気のなかで、私は「うまくなりたい」というより「怒られたくない」「ナメられたくない」という一心で、必死に頑張っていた。
けれど、ある日ふと思った。
…「もう辞めよう」と。



完全な初心者で始めた自分としては、よく続いた方だと思ういます…



大人の世界なら、まだ「素人なんで」っていうのは通じるかもだが…



学生の頃って、「素人感」って受け入れられがたいかもねぇ…
「遊び」としての喜び


そんな自分が今、近所のストリートコートでバスケを楽しんでいる。
相手は中学生から社会人、外国人までさまざま。
名前も知らない。
でも顔なじみになれば「ちわーす」と挨拶し合い、自然とゲームが始まる。
まるで小学生のころ、知らない子と気がついたら一緒に遊んでいた、あの感覚だ。
もちろん、場を乱すような人もたまにいる。
でも、そんな人とプレイしても楽しくないから、自然と“遊びたい人”同士が集まる。
言葉を交わさずとも通じ合う「遊びの空気」がそこにはある。
思えば、オランダに駐在していたときも、現地のバスケコートで、肌の色も言語も違う人たちとボールを追いかけた。



日本でも、引っ越すたびにバスケコートを探してましたね



最近は結構、いろんなところで見かけるよね
年齢という壁。でもそれを支えるチカラ


年齢を重ねると、当然体は思うように動かない。
パソコンの前に座り続ける日々が積み重なれば、体は固くなる。
でも、ここ1年ほどは筋トレやランニングを地道に続け、少しずつ“戻ってきた”実感がある。
そして今、何よりありがたいのはYouTubeの存在だ。


私たちが高校生だった頃には想像もつかなかったような、質の高いトレーニング動画が無料で見られる。
フォーム、スキル、動き方――すべてが丁寧に編集されていて、練習の効率が格段に上がる。
動画を見て学び、実際にやってみて、また動画に戻る。そのサイクルが心地いい。
ところが…
こうした「学んで、試して、また学ぶ」という流れは、日々の仕事の中ではなかなか味わえない。
仕事は多くの場合、「やらされ感」に支配されている。



部活の時と同じってことか



そうね‥‥同じように感じる人は、少なくないかもね
「やらされ感」の3つの理由


なぜ「やらされ感」が、部活や仕事にはあるのだろう。
これについては、以下3つが大きい気がする。
1.目的が自分のものではないから
「なぜそれをやっているのか」
その問いに自分の言葉で答えられないと、人は“自分の人生を生きている”実感を持てないのではないだろうか。
他人から与えられた目標や評価基準のもとで動いていると、自然と「やらされている」と感じるようになる。
2. 評価が「恐れ」に基づいているから
「ミスをしたら怒られる」「うまくやらなきゃ認められない」といった“罰の回避”を動機にしていると、プレッシャーばかりが募る。
そうすると、楽しさは消えていく。
これは部活でも、職場でも、根強く存在していると思う。
3. 自分の意思や裁量がないから
行動や判断が常に他人に委ねられていると、「自分の人生を生きていない」感覚が強くなる。
つまり、自分で決める自由がないということだ。
自分の意志が反映されない場所では、どんなに意義ある仕事でも「やらされている」と感じてしまう。
40代の転職が「地獄」となるとき


きっと最初の就職のときは、給料、将来性、ネームバリューなどといった、「皆が条件にしがちなもの」に重きを置いたと思う。
でも…
もう一度、このブログの最初に戻ってみたい。
本当に苦しいのは、その“信じてきたもの”に、「しがみついていること」なのではないか
もちろん、「しがみついたおかげ」で、得たものが給与であり、将来性であり、ネームバリューだったと思う。
でも…
若い頃に比べ、それらのターゲットはより高くなっていないか?
さらに…
また「やらされ感」に支配されるのか?
それこそ、地獄なのでは…



つまり、これまでの価値観で測ろうとすると、転職も難しく、転職後も苦しいと…



少なくとも私個人は、そういう気がしています
まとめ
繰り返しになるが、私のバスケが楽しい理由は、以下のようなものだった。
動画を見て学び、実際にやってみて、また動画に戻る。そのサイクルが心地いい。
「こんな風になりたい」「こんな空間で過ごしたい」という欲求は、生きる上での原動力だと思う。
誰かを真似しながら、努力して、自分らしさを作っていく。
だからこそ、職場選びを「給料」や「安定性」といった条件だけで決めることに、改めて疑問を抱く。
もう一度、憧れを原動力にできる場所を探してみてもいいのではないか。
スポーツ選手に心を躍らせるように、「こんな働き方がしたい」と思える場所を。


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