エッセイ
こんにちは!ラクです。
職場では必要以上に話さないようにしよう…
そんな風に思っていませんか?

私も結構そうですよ



えぇ?そうなんですか?



まぁ「私は必要以上に話します!」ってヤツは見かけねぇな
今回は、ちょっとエッセイ風にしてお伝えしていきます!
でも、いつも通りラク・トクコ・バウの3人も一緒にお話ししていきます!
職場での会話、控えめにする理由


私は職場で必要以上に話さないようにしている。
少なくとも、それを心がけている。
それは「嫌われるかもしれない」という恐れではない。
「相手が不快に感じてしまうと申し訳ない」という気持ちからくるものだ。
例えば、同僚が「このチョコ、おいしいよね!」と言ったとする。
私は「まぁおいしいけど、もうちょっと甘さ控えめの方が…」…と思うことがある。
そんな風に、どうしたって人間は賛同できないことがある。
そして、心から賛同できない話が続くと、聞いているだけで疲れてしまうこともある。
だからこそ…
自分の意見を話すことは、
同じように相手を疲れさせてしまわないか、
負担を強いていないか
そんな不安に駆られ、
つい口を閉ざしてしまう。



考えすぎじゃね?w



私も友人との間でそういったことはないのですが、職場ではあまり雑談をしないこともあるので、つい考えてしまいますね
価値観が合うとき、会話が弾む瞬間


一方で、「おいしいよね!」と心から共感できるときもある。
そんなときは、自然と会話が弾む。
相手と自分の価値観が一致したような気がして、嬉しくなるからだ。
しかし、厳密に言えば、「おいしい」という言葉の中にも、人それぞれ細かいニュアンスがある。
甘いからおいしいのか、
香りがいいからおいしいのか、
値段のわりにおいしいのか
さらに掘り下げれば、
「このチョコは甘いけれど苦みもあって絶妙」「オレンジピールの香りが混ざっていて深みがある」といったように、表現は無限に広がる。



ふむふむ。そうね。人が思うことって、ホント人によって違うね



言葉にできていないことも、あるかも知れませんね
職場の「おいしい」のレベル感


職場での会話も、これと似たようなものだ。
これは政治の世界にも通じる話かもしれない。



政治の話?



具体例で考えてみましょう
●「私はおいしいチョコを作ります」と言う政治家
●「私はオレンジピールの香りが混ざった風味豊かなチョコを作ります」と言う政治家
…どちらが支持を得やすいか?



これは…前者かな…



なんでだ?



ある程度、抽象的な表現にとどめておく方が、受け止める側は自分にとって都合のいいように解釈してくれるから…かな?



そうですね。
この政治の世界でも用いられる手法を、職場での会話でも使っているのかもしれない。
まず「おいしい」とだけ、言ってみる。
悪いことでは無いし、会話を始めるのにはちょうどいいとも思う。
そこで相手が同調してくるのかどうか…様子を見たって、全く構わないのだから。
自分の意見を表明しないリスク


しかし、最近は以下のようにも感じる。
私はもしかしたら職場では「おいしい」と表現することすら億劫になっているのでは?
これはなぜなのか…
その背景には、過去の経験があるのだろう。
自分の意見を表明したことで賛同を得られなかったり、反感を買ったりしたことがきっとある。
そのため、無意識に同じような経験をすることを避けているのかもしれない。
そうして話すことを避けるうちに、「おいしいのか、おいしくないのか」という根本的なことすら表明しなくなってしまう。
さらに、その無意識の防御反応がエスカレートして、以下のようにすら考えているのかもしれない。
そもそも、「おいしい」なんて表明する必要はあるのか?
これが、「必要以上に話さない」というところに繋がっている気もする。



うーーーむ…



「必要以上に話さない」というところの「必要」を考えると、「おいしいと言うことは、必要か?」という問いになりますね



いやいや、でも、チョコを一緒に食べてて、それで無言ってのは…💦



ヘンだよな
そう。つまり、「おいしいとすら言わない」ことは、相手にとって居心地の悪い沈黙を生むかもしれない。
「必要以上に話す」とは何か?


では、極端に考えてみて、「必要以上に話す」とは何を指すのだろうか?
もしかすると、それは「相手の意思を勝手に解釈して話してしまうこと」なのかもしれない。
例えば、相手が「おいしいね」と言う前に、「あまりおいしくなさそうだね、甘すぎたかな?」と先回りしてしまうこと。
本来なら、まず相手の考えや気持ちを聞くべきなのに、それを待たない。
必要以上に勘ぐってしまうことが問題なのではないか。
そうすると、以下のようにも言えるかもしれない。



ここ、結構今回のブログの要です



平たく言ってしまうと、コミュニケーションは双方向であるべきってところやね



「待たずして話してしまう」ことが、「必要以上に話してしまっている」と言い換えてもいいのかもな
必要な「話す勇気」


見方を変えれば、これは「勇気」の問題とも言えると思う。
これまでは、「必要以上に相手と話さない」ことを意図的にやってきた。
その理由は、「相手を疲れさせないか」「負担にならないか」という気持ちがあった。
ただそれは表面的な理由で、根本では「過去の苦い経験を無意識に引きずっているから」なのかもしれない。
しかし、それでは逆に相手を不快にさせてしまっている可能性があることが分かった。
自分から話すことで、相手が話しやすくなる雰囲気を作る。
そして、相手の反応を過度に気にしない。
もし相手が微妙な表情をしたなら、「あ、そんなにおいしくなかった?」と軽く聞いてみればいい。
それでも相手が「ううん、おいしいよ」と言うなら、それをそのまま受け取ればいい。
相手の言葉を過度に深読みする必要はないのだ。
結局のところ、大切なのは「相手が話しやすい空気を作ること」。
そのためには、自分がまずふわっと表現し、相手の言葉を「待つ」。
別にその言葉の裏を勘ぐりすぎる必要は無い。
それだけで、コミュニケーションはもっとスムーズになるのかもしれない。



これが「第一歩目」ってところなんかなぁ



そうですね。色々そうカンタンではないでしょう。だからこそ、面白いくらいに考えていればいいのかもしれませんね



だな。考えすぎると疲れるだけw


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