こんにちは!ラクです。
「突然で申し訳ありませんが、会社を退職させていただきたく…」
…と部下から当然話されたこと、ありませんか?

私は何度かありますね…大体「他社でもやっていけそうな人」が、多かったような気がします



優秀な人ほど、あっさり辞めちゃうんかなぁ…



当時を振り返って「優秀とは何か」についてと、その際の心情をお話しします
今回も、ちょっとエッセイ風にしてお伝えしていきます!
でも、いつも通りラク・トクコ・バウの3人も一緒にお話ししていきます!
出会いは稀な「優秀な部下」


管理職としてのキャリアを振り返ると、自ら辞意を示した「本当に優秀な部下」は、実のところ、たったの二人しかいない。
「少ない」と思うかもしれない。
しかし、「優秀」と思える人材に出会える機会は、実際にはそう多くない。
「優秀」の定義は人それぞれだが、私にとっては「他にはない何か」を持っている人のことだ。
あの二人には、共通して「穏やかでありながら、芯が太い」印象があった。



業務をそつなくこなすってだけじゃねぇのか?



それだけなら…他にもいましたね
彼女たちは、どこか達観した空気をまとい、自身の感情にすら一定の距離を置いているようだった。
感情の扱い方が、少し違う


怒ることも、不満を口にすることもあった。
「今日は疲れましたね」「あれはちょっと許せないですね」といった一言に、波立たない感情の静けさがあった。
この“静かさ”に私は好感を抱いていた。
そしてきっと、他の人もそう感じていたのではないかと思う。



感情を爆発させるのではなく、淡々と語る感じ?



そうですね。そのスタイルが、逆に心地よさを感じさましたね
感情を抑えることで、相手の心を動かす


職場において、理不尽な状況に直面したとき…
「あり得ないですよね?」と共感を求めたくなるのは人情だ。
私自身もそうだ。
しかし、職場には不条理が溢れている。
他人に共感を求めたところで、「いや、自分も同じ状況なんですけど…」と思われ、共感の代わりに心の中で比較されることも、きっとある
一方で…
自分の感情を抑えながらも論理的に状況を伝える人の言葉には、なぜか耳を傾けてしまう。
これは音楽にも通じる。
クラシックのピアニストが、楽譜通りに丁寧に演奏すると、聴く側は心地よく感じる。
過剰な表現よりも、整った静けさが胸に響くのだ。


辞めて転職していくとき、残るもの


そんな彼女たちが「辞めます」と告げたとき、驚きと落胆を隠せなかった。
だが同時に、「やっぱり、そうか」という納得も、心のどこかにあった。
話を聞いているうちに、「あなたなら、きっとどこでもやっていける」と感じるようになった。
その思いは、言葉ではなく、じんわりと心の中に滲み出てきた。



でもこれ、転職に使う履歴書には書けねぇな。



そうですね…優秀さというか、「働きやすさ」みたいなものは、やはり一緒に働いてみるまでは、分からないものですね
感謝と後悔、そして学び


いま、振り返って強く感じることが二つある。
ひとつは、そんな彼女たちと一緒に働けたことへの「感謝」と、「自分の未熟さ」への申し訳なさ。
もうひとつは、彼女たちのふるまいからもっと学べたのではないかという後悔だ。
彼女たちが辞意を示したとき、私は異動の提案など、引き止める努力もした。
しかし、「穏やかながら芯が強い」彼女たちの意思は揺るがなかった。
優秀な人ほど、自らの意思で静かに会社を去る。そして、去ってほしくないのは、業務の効率だけでなく、その存在が周囲にもたらす安心感と、内なる影響力ゆえなのかなと思う。



やっぱり「辞めて欲しくない人」ほど、辞めていくのかなぁ



ショックが大きいし、印象にも残りやすいから、そう感じやすいのかもな
模倣したくなる「静かな異質さ」


最後にひとつ、私なりの結論がある。
それは、感情を押し殺して話す冷静さかもしれない。
完璧に演奏されるクラシック音楽のような整然さかもしれない。
そして私たちは、それに惹かれ、「なぜ自分にはそれができないのか」と内心で問い、模倣したくなる。
そんな存在が去っていくとき、空白とともに、その“模倣欲”の対象も失われる。



うーむ…



まぁそこまで普段感じないと思いますけどね。ただ、「優秀な人」が居なくなって、モヤっとするものがあれば、そういう感情もあるかなという感じです。



「優秀な人」とか「働きやすい人」って…これからも人とのかかわりの中で探し続けていくのかもね


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